杜のホールはしもと

文字サイズ

hall topics

【公 演】江口 玲さんインタビュー vol.3〔ピアノとピアニスト〕

2020.10.05

――今回のコンサートではピアノをお持ち込み下さいます。どのようなピアノなのかご教示ください。
 1887年製のニューヨーク・スタインウェイです。スタインウェイ&サンズ社のピアノが現在のような作りになったのが1870年代後半なので、フルコンサートグランドピアノ・モデル初期の楽器です。
 また、1891年にカーネギー・ホールがオープンした際から何十年も使われていたピアノなので、メトロポリタン・オペラハウス主催のコンサートといえば、恐らくこの楽器が使われていたはずです。ですから、レオポルド・ゴドフスキー、ヨゼフ・ホフマンなど錚々たる顔ぶれが使っていたかもしれません。

――ニューヨーク製とハンブルク製とでは異なる使用感がありましたか?
 ハンマーやアクションは現代のピアノとほとんど差がないはずですが、音色についてはフォルテピアノの名残があります。
 ニューヨーク・スタインウェイは主に北米地域で使われており(※)、日本へ輸入されることが少なかったので、私も日本では弾く機会がありませんでした。ですから、ニューヨーク製にはじめて触れた時はハンブルク製と全く違う楽器なのではないかと思うくらい、音色から何から全て異なりました。さらに、製造の違いに慣れるまで時間がかかりました。それまではハンブルク製の楽器に馴染みがありましたが、ハンブルク製と同じ響きを求めてしまうと上手くいきませんでした。ニューヨーク製には独自の響きや特徴があり、それを受け入れないと反応してはくれません。
 この頑固な面を持つ最たる楽器が、今回のピアノです(笑)最初に弾いた時には、どうにも言う事を聞いてくれず、喧嘩状態でした。こちらは何としても「言う事を聞いて!」と迫るし、相手は絶対に言う事を聞かない(笑)。そのため諦めて、この楽器が持っている良さとは何なのだろう?と発想の転換をした途端、ガラッと世界が変わりました。ニューヨーク・スタインウェイにそのような傾向があることは以前から知っていましたが、このような楽器に出会ったことはショッキングでした。

――ニューヨーク・スタインウェイの特徴をより具体的にお聞かせください。
 今回の楽器の特徴なのか、それとも当時の楽器の特徴なのかはわかりませんが、決して太い音が鳴る楽器ではないにも関わらず、ホール中に音がよく響きます。
 さらに、ハンブルク製は下から上まで音が滑らかに整っていますが、ニューヨーク製は高音域、中音域、低音域とでそれぞれ音色がとても異なります。中音域は鳴らない、高音域はキラキラと華やかな音、低音域はゴツゴツした武骨な音、そのような音域によるイメージを奏者がコントロールをあまりせずとも表現できるのです。ただし、この特徴が難しさにつながっています。ですから、中音域が鳴らないからといって一生懸命弾いてしまうと汚い音になってしまいます。しかし、鳴らないのではなくて、このような音色を持つ楽器だと理解して弾けば対処がわかります。自分の理想を押し付けてしまうと、ただただ楽器と喧嘩してしまうのです。

――――音域が持つ音色や役割を楽器が教えてくれるようなイメージでしょうか。
 そうですね。個性を持った楽器なので、ほんの少しでも聴いて頂くと普段お聴きになっているピアノとの違いがおわかりになると思います。それぐらい個性的な楽器です。

――ズバリ、今回のプログラムの聴きどころをご教示ください。また、前回の竹澤さんとの全曲演奏を経てコンサートのテーマなどがありましたらお聞かせください。
 聴きどころは、ソナタの中でも1番有名なものを並べた、どなたがお聴きになってもベートーヴェンの音楽の素晴らしさを感じて頂けるプログラムだということです。そして、この3曲のソナタを竹澤さんと共にどのように料理しようかと楽しみにしています。
 テーマということでは、「自分たちが考えるベートーヴェン像とは何か」ということでしょうか。ベートーヴェンが生きていた時代の楽器は、今の楽器(モダン・ピアノ)とも今回使用する楽器とも異なります。そのような意味では、ベートーヴェンが本当に望んでいた響きではないのかもしれません。
 しかし、例えば歌舞伎は伝統を守りながら現在まで続く芸能ですが、いつの時代においても演出や型が変わらないのと同時に、その時代の要素を積極的に受け入れるところがあるかと思います。
 このように、クラシックの音楽家もベートーヴェンの作品の本来あるべき姿を守りながら、今の私たちにできる方法で、新しいベートーヴェン像を表現したいです。それが今回のテーマの一つかもしれません。

※スタインウェイ&サンズ社は、1853年にドイツ人の創業者がニューヨークにて創立したピアノ・メーカー。1880年にはドイツ・ハンブルク工場が設立された。現在も、ニューヨーク製はアメリカ国内、ハンブルク製はヨーロッパや日本をはじめとするアジア圏に輸出されている。

vol.1〔アンサンブルの極意〕
vol.2〔ピアニストが語るヴァイオリン・ソナタ〕

協力/KAJIMOTO
取材日/2020年9月15日(火)
(c)公益財団法人相模原市民文化財団