杜のホールはしもと

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【公 演】江口 玲さんインタビュー vol.2〔ピアニストが語るヴァイオリン・ソナタ〕

2020.10.03

――2002~03年にかけて竹澤さんとともにベートーヴェンのソナタ全曲演奏に取り組まれたとのこと。その際の思い出や取り組みの中で得たことなどをお聞かせください。
 全曲演奏をするということ自体が、とても大きなプロジェクトでした。その時はその時でお互いにいろいろ勉強して音楽を作り上げて、これが自分たちの一つの完成形だと言えるものを作れたはずです。
 ただ、約20年前のことですし、その時は気付かなかったあるいは見えなかったこともお互いにあるはずです。ベートーヴェンのソナタのうち数曲についてはその後も数回共演していますが、今回はまた変化があるかもしれませんね。

――全曲演奏については竹澤さんとの共演が初めてではなかったとのことでしたが、竹澤さんとのプロジェクトの印象をお聞かせください。
 ベートーヴェンは、楽譜に謎が隠されている作曲家です。一つの作品を仕上げるためにかなりの時間をかけて推敲を重ねており、楽譜に書き残して出版するという行為にとても慎重だった様子がうかがえます。例えば、スタッカートをつけるか否かで迷っていたなどが挙げられるでしょうか。
 そのようなもの対してのアプローチや考え方は、ヴァイオリニストそれぞれが異なります。室内楽を中心に活動している方だと発想が弦楽四重奏的だったり、反対に協奏曲を演奏するようなソリストの方だとソナタを演奏する時にもソリスト目線で楽譜を捉えることが多いですね。
 そのような視点からみると、竹澤さんの場合はまず音が印象的です。彼女の持っているとてつもなく力強く芯の太い音をフル活用して、音楽を作り上げるのです。それはある意味ではソリスト的な取り組みかもしれませんね。ですので、彼女のような方と1対1のぶつかり合いをすることは、とても面白いです。

――弦楽四重奏的またはソリスト的な音楽づくりの違いを具体的にお聞かせください。
 弦楽四重奏曲を演奏する場合、まずお互いが持つ音程の感覚を合わせて、次に他の楽器との音のバランスを図るというような室内楽の基本的作業をするはずです。一方、ソリストが協奏曲を演奏する場合、どのような場面でも自分が持つ音楽性を最大限に表現しますし、そうすることで「協奏曲」という一つの作品演奏が成立するところもあります。
 ここでの一番大きな違いは、相手に対する譲り方が異なることです。相手に譲っている時でもソリストは絶対に「自分」が崩れません。とはいえ、ただ「自分」を押し続けているわけではなく、完全に相手に譲ってくれます。しかし、どのように譲っている時でも自分の表現したいものが消えてしまうことはなく、必ず強く残るものがあります。
 室内楽の人は、そのような場面で完全に自分の気配を消すことができますね。ですから、ソナタよりももう少し編成が大きくなった場合、例えばピアノ五重奏などの時には、室内楽を中心に活動している者同士の方が演奏がまとまりやすいかもしれません。
 ただし、ソナタのような二重奏においては、どちらの在り方があっても良いと思います。

――竹澤さんは「ソナタの場合、両パートが対等な存在でそれぞれが個性を持つことが大事だ」(vol.3 ベートーヴェンと竹澤恭子参照)と仰っていましたので、お二人の仰っていることが合致していますね。
 そうですね、長い付き合いだからこそかもしれませんね。

――「ヴァイオリン・ソナタ」は、モーツァルトの時代はヴァイオリンのオブリガート付きピアノ・ソナタとも言われていました。その後に続くベートーヴェンの作品は、このジャンルにおいて過渡期にあったと言われますが、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタにおける作品の変遷や特徴などをご教示ください。
 バロック時代まで遡ると、元々はピアノ(鍵盤楽器)の方が音楽において重要な役割を担ってきた経緯があります。音域についても同様です。
 ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタが過渡期にあった理由は、「ピアノ」という楽器が発展した時代だったからです。ベートーヴェンの存命中には、モーツァルトが使っていたフォルテピアノからショパンが使った現代のピアノの原型となる楽器に至るまで変化しました。ですから、楽器が発展すれば音楽(作風)も変わるのは必然です。
 また、初期から晩年になるに従って書法が変わったいうよりは、急速に変化していきました。例えば、ほぼ毎年1曲ずつ書かれたピアノ・ソナタでいえば、ひと作品ごとに進化しています。ピアノ・ソナタほどではありませんが、ヴァイオリン・ソナタも同様で、特に《第5番「春」》と《第9番「クロイツェル」》を比べると、鍵盤楽器的な視点からはものすごく進化しています。ですから、ヴァイオリン・ソナタの変遷には、ピアノと発達とベートーヴェンの作風や作曲技法の変化が影響していると思います。

――ピアニストの視点からお考えになる、ヴァイオリン・ソナタ作品における「ピアノ」「ヴァイオリン」それぞれの役割についてお聞かせください。
 ことさら二重奏作品つまりソナタにおいては、相手が変わると全く別の楽曲に感じるぐらいに作品の印象が変わります。
 それぞれの役割に目を向けると、ベートーヴェンの作品は、ヴァイオリンがオブリガート(助奏)からピアノと対等に扱われるようになった時代が当てはまりますが、この“対等”という意味をどのように捉えるかにあります。
 「ピアノ」は、ヴァイオリンが旋律を弾いている時にその背景に回ることができます。しかし、ピアノが旋律を弾いている時に「ヴァイオリン」が背景に回ることはとても特殊です。それは、音の出る仕組みが全く異なるためです。弦楽器の音は持続性がありますが、ピアノの音はいずれ減衰してしまいます。音の出方が異なる楽器同士が一つの音楽を作り上げるのですから、それぞれの役割を考えなければなりません。
 「ピアノ」の役割としては、旋律を担う時にはソロとして演奏していますが、一方で作品の背景となるものも描いています。そこに「ヴァイオリン」が加わった時には、背景も描きながらヴァイオリンと対話もする、というように演奏する上で多くの役割や責任を負っているのかなと考える時があります。もちろん、音符の数からみても大変な役割なのですが。
 「ヴァイオリン」にとっては、ピアノが何らかのアクションを起こしているところへ自分がどのように混ざり合うか、ということが難しいのではないでしょうか。

――竹澤さんは、江口さんを「さまざまな音楽づくりが可能なキャパの広さや表現の幅があり、特にデュオのパートナーとしては察知能力が素晴らしい方」だとご紹介くださいましたが、デュオ・パートナーとしての竹澤さんの印象をお聞かせください。
 長いこと知り合いですとだいたいの語法がわかりますので、演奏していると恐らくこうくるだろうなという勘が働きます。

――その勘はだいたい当たりますか?
 はずれる時もありますね(笑)  
 というのも、それが竹澤さんをはじめ私が共演している方たちの素晴らしいところで、アーティストとしてある地点まで到達してもなお進化し続けているのだと感じる時でもあります。お互いに何歳になっても成長し、変化し続けたいですよね。
 そのような意味では、竹澤さんは確実に進化し続けていますね!

――リハーサルを経て、今回のコンサートではどのような演奏になるのか楽しみにしています。
 本当ですね。私たちもそれが今から楽しみなのです。

協力/KAJIMOTO
取材日/2020年9月15日(火)
(c)公益財団法人相模原市民文化財団